歴史の“つかみ”シリーズとしては第2弾となります。
今回は、弥生時代について。
縄文時代に続いて、歴史に興味が薄い生徒たちからすると“面白くない時代”かもしれませんが、歴史的に見れば“非常に重要な時代”と言えます。
そこを“つかみ”として、今回もお話させていただきます。
それでは早速、見ていきましょう。
新たな生活様式の“到来”
弥生時代の“最大のポイント”。
それが“稲作の伝来”です。
正確には、縄文時代の末に西日本に伝わり、それが弥生時代に発展して、東北日本まで広がったとされています。
ですが、最大のポイントが“稲作の伝来”と言われても、大半の生徒たちは“キョトンとする”でしょう。
なにせ、田んぼが無くなり、その空き地に新しくマンションが建設されることも多い近頃。
日々、そんな様子を目にしている生徒たちからすれば、何がポイントなのか“まったくピンとこない”のです。
しかし、“つかみ”としてはこれでOK!
この疑問が次につながる“きっかけ”になります。
稲作が起こした“変化”
では、なぜ最大のポイントが稲作の伝来なのか。
それは、稲作がきっかけで、貧富の差が生まれたからです。
ここで、少し想像力を使って“貧富の差が生まれた理由”を考えてみてください。
稲作をするには、まず“土地”がいります。
それも“どこでも良い”わけではなく、稲作をするのに適した土地です。
もちろん、広さも“大きい方がいい”。
そうした“場所”の違いが、最終的に“収穫物の差”となって現われます。
そうなると当然、“むら”どうしが水利や収穫物をめぐって争うことが多くなり、その争いの“勝敗”によって、“貧富の差”が生まれたというわけです。
そう考えれば、実に“自然な流れ”と言えるでしょう。
今後につながる“一本の軸”
そして、ここから以降、この“土地”というものがあらゆる場面で“絡んできます”。
そのため、ここから先の時代は、この“土地”というものを一つの軸として見ていくと、まとまりが生まれやすくなります。
結論
弥生時代も縄文時代と同様、細かい知識は“たくさんあります”。
“土器の特徴”、“稲作に使われた農具”、“収穫された稲を貯蔵する倉庫”などなど。
挙げればきりがありません。
ですが、こんな細かい知識の暗記から入れば、苦手な生徒が“ヤル気を失う”だけでなく、効率も非常に悪い。
まずは、その時代の“肝”となるポイントを掴ませて、細かい知識は後から肉付けしていく。
そのための“つかみ”として、今回の記事が参考になればと思います。