“将来まったく役に立たない”

この言葉。

勉強嫌いの生徒達の決まり文句です。

そんな将来、役に立たないと思われがちな教科の代表格が“社会”でしょう。

公民はともかく地理や歴史は、嫌いな人からすれば、ついつい“役に立たない”と頻繁に口にしているはずです。

でも、こんな時に!

地理や歴史が将来、“いかに役立つものか”ということを生徒達に力説してみても、ほとんど無意味でしょう。

“先々、どこかで活かせる時がくるかもしれない”なんて曖昧な話を聞いて、熱心に頑張ってくれる生徒はほとんどいません。

かといって、ほとんど授業を聞いてもいないような生徒だからといって、放ったらかしにするわけにもいかない。

“それならば、どうする”というのが、今回のお話です。

役に立つか、立たないかの“違い”

例えば、“学生時代の部活動は将来役に立つと思いますか?”と聞かれたとしましょう。

おそらく役に立つと“思う人”と“思わない人”で答えは分かれると思います。

両者は何が違うのか。

結局のところ“自分はどう考えるか次第”というところです。

“上下関係を学べる”と考える人もいれば、逆に行き過ぎた上下関係が“間違った方向へ人格を形成するかもしれない”と考える人もいるでしょう。

“礼儀作法を学べる”と考える人もいれば、部活をしていなくても“礼儀作法は学べる”と考える人もいるでしょう。

つまり、役に立つかどうかというのは、そこに“自分なりの意味を見出しているかどうか”が問題で、その行為自体(今回の例では部活動)が“無条件に役に立つ”ということではありません。

勉強の場合は、どうするか

それでは、すぐにやる意味を見出せそうにない勉強の場合はどうするか。

役に立つかどうかではなく、いかにして“将来に役立たせるか”という考え方に、発想を切り替えてみてください。

これは、先ほどの部活の例と同じ。

要するに“役に立つ”なんて受け身の状態ではなく、なんとかして“役立たせる”くらいの主体性がなければ、勉強に限らず“何をやっても同じ”ということです。

結論

“いかにして役立たせるかを考える”

口で言うほど簡単でないことは、百も承知です。

特に、冒頭で上げた地理や歴史はそうでしょう。

そこで、これから定期的に“将来に役立たせるためには”という視点で、地理や歴史についての記事を書かせていただきたいと思います。

ぜひ、読んでみてください。