歴史を学ぶ意味
歴史嫌いの生徒がよく言う“昔の出来事なんかに興味ない”という決まり文句を聞くたび、思うことがあります。
生徒にすれば、興味を持てない昔の出来事を、なぜ勉強しなきゃいけないんですか。って言いたいのでしょう。
その問いかけへ、私の応えは次のようなものです。
これはスポーツに置き換えると“終わった試合のことなんか興味ない”と言ってるようなもの。
それって大丈夫かぁ!という感じ。
スポーツもレベルが高くなればなるほど、過去の映像を何度も見ながら、分析を繰り返します。
こんな話をすると、”スポーツは勝つために過去の試合の分析が必要なのはワカル”。
でも“それと歴史の勉強は関係ない”という人が多いと思う。
ところが違うんです!。
実は関係、大ありなんです!。
そこで今回、日常生活と結びつけながら何かと嫌われがちな歴史を学ぶ“意味”を
考えてみたいと思います。
直に“活かせない”ものをどう“活かすか”
例えば“1232年北条泰時が御成敗式目を制定”を見たとき。
この知識を実生活で直接“活かせる場面”なんて、そりゃありません。
問題は“どう活かすか”。
言い方を変えれば“活かし方”を知っているかどうかが大きなポイントです。
少し歴史の話に踏み込みますが、この御成敗式目の例で言えば、前後の歴史の流れや背景に注目です。
1221年、承久の乱に勝利した鎌倉幕府が全国に支配権を拡大した結果、諸国に武士を派遣。
このさい、派遣された武士と現地住民との間に法律的な揉め事が次々に起き始めたのです。
そのためにコレを裁く“法律”が必要となり、作られたのが後成敗式目というわけです。
この話から学べること。
身内どうしで生活していたときは“なぁなぁ”で済んでいた話も、育ってきた環境の違う者が集まって組織的に生活するときは、話が変わるということ。
そこには明確なルールが必要になるのです。
このように“歴史から学ぶ”には、一つの知識からどのようにしてエッセンスを抽出するのか。
さらにそこからどれだけのエッセンスを抽出できるか。
そのノウハウを学ぶことが大切なんです。
歴史は繰り返す
そうすると、“なぜ歴史を学ぶのか”というのは、物事を様々な視点から“考察する力”を身につけるためと考えられます。
なにかで失敗したとき“次は失敗しないように気をつけよう”では、おそらく次も失敗する可能性が高い。
それは“なぜ失敗したのか”を考察出来てないからです。
このことは冒頭で挙げたスポーツの場合も同じです。
過去の試合と全く同じ展開になる、なんてことは、どのスポーツでもほとんど有りません。
それでも映像を何度も見返す。
そこから“何を発見”し、それをどう次の試合に活かすのか。
ここに大きな差が生まれます。
結論
“何をどうしたら、こうなるのか”ということを、歴史上の出来事からどれだけ掴めるか。
そしてそれをどのようにして現代の生活に活かしていけるのか。
これを考えることが、“歴史を学ぶ意味”だと考えます。