英語教育の早期化もむなしく・・・
文法が“わからない”、“覚えられない”、“面白くない”。
こう感じている英語嫌いの生徒は、かなり多いと思います。
小学生の間から学習を始動させるという英語教育の“早期化”も根本的な解決にはならないばかりか、次々に新しいことを習わされ、“理解と暗記が追いつかない”。
その結果が“面白くない”の悪循環ですが、それも無理ありません。
英語嫌いの小中学生にとっては、興味のないことを“習わされ”、それを“理解することに努めさせられ”、最後に“それを覚えさせられる”。
この一連の流れすべてに共通しているのが、“受け身”ということです。
見事にすべて“させられています”。これでは英語嫌いの生徒が増えるのも当然です。
そこで英語が嫌いな小中学生のみなさんに向けて、そんな“負の連鎖”を断ち切るべく、“その学習姿勢を見直すことから始めてみませんか”というのが、今日のお話です。
主体的か受け身的か
人は、同じ行動でも“主体的か受け身的か”の違いによって、精神的な疲労度や負担の感じ方は大きく変わります。
例えば、普段の生活を思い返してみてください。
同じ1時間でも、好きなことをする1時間と嫌いなことをする1時間。
時間の進み方に対する感じ方が、“全く違う”と思います。
好きなことには主体的で、嫌いなことには受け身の状態になっている。
これが、両者の間にある大きな違いです。
今回の本題である英文法の学習においては、この“受け身の状態になっている”ことがほとんどでしょう。
“では、どうするか”ということについて、具体的に見ていきます。
“表現法を増やす”という意識
まずは、以下の文を読んでみてください。
「今日は、友達と公園に行った。2時間遊んだ。ボールを使って遊んだ。とても疲れた。でも、楽しかった。」
これを小学1年生の子が書いた(読みづらいので、漢字にしています)と言われれば、なんとも微笑ましい限りです。
ですが、これを書いたのが中学生だとしたら。
さすがに、文章の書き方が稚拙すぎると思いませんか。
ですが、文法や表現法を知らないと、こういうことになってしまうのです。
そして、“それは英語についても同じです”。
結論
文法とは、いわば言葉の世界の“ルール”です。
ルールを理解出来ない小さい子の場合は、ルールを無視していても大目に見てもらえますし、むしろ“書くことに意味がある”と好意的にさえ見てもらえるでしょう。
ですが、大きくなれば“そうはいきません”。
ルールの中で文章を書く力が要求されます。
しかし、これは逆に言えば、ルールに乗っかりさえすれば“誰でもある程度しっかりした文章が書けるようになる”ということ。
“こう書きたい時、どうしたら良いんだろう”。
“2つの文を1文で表現したいとき、どうしたらいいんだろう”。
こんな視点から文法をみることが出来たら、文法は“実はとてもありがたい存在”ということが実感出来ます。
そこで次回以降、定期的に“表現法を増やす”という視点から、代表的な文法事項の学習に際する“ポイント”を書かせていただこうと思います。