塾に入ったからには勉強する、あるいはさせられるのは当たり前。そのうえでどれだけ点数を上げられるかに焦点を当てるのが,昨今の強い風潮のように感じています。
もちろん塾の仕事としてその考え方や風潮に苦言を呈そうなどというわけではありません。
ただ、それ以前の段階にある子供たちも大勢いるのではないかと感じることがよくあります。
例えば、あまりにも前学年の積み残しが多く、現在の学習内容を充分に理解できない生徒さんの場合はどうでしょう。
当然、巻き返しを図るには人の何倍もの時間を勉強するしかありません。でも、それが出来る子であれば、最初からそんな状態になっているとは考えにくい。結局のところそれほど多くの時間をかけて勉強することは出来ない可能性が高いでしょう。
しかし、それを放っておいては塾としては名折れです。
そこで何とかして勉強量を確保しようと、躍起になる塾の先生や保護者の方は多いと思います。
もちろん、それをきっかけに勉強しなかった子がする子に変化してくるなど、スパルタ式のやり方が功を奏する場合もあります。
ですが、そのやり方が逆効果になることも大いに考えられるところです。
そんな時です。
私自身はそれぞれのペースや要望に合わせる(甘えに合わせるというわけではありません)のが良いと考えています。
例えば、ピアノ教室に通い始めると考えてみてください。
通う目的や目標は人それぞれでしょう。全員がコンクールに出ることや、そこで結果を出すことを目標にしているわけではないはずです。
ちょっとピアノを演奏できるようになってみたい。あるいは最低限のリズム感を身につけてほしいといった要望もあるでしょう。そういった様々な希望を持つ生徒さんにピアノ教室の先生は、それに合わせた指導をしていくはずです。
勉強とピアノを一緒にするなと思われるかもしれません。でも学習塾も習い事の一つと考えると、根本的には同じ事だと私は考えています。
学習塾でもピアノ教室でも、通って来られる生徒さんの目的や希望、能力の違いにそって伴走者としてその生徒さんと共に走る。それが“塾生に寄り添う”ことだと思うのです。
話は少し変わりますが昨今、英語教育が過熱し、小学校5・6年での教科化など積極的な改革が行われています。
しかし、現実に将来社会に出た時、実際に英語を使用する立場にある人は国民全体の1割程度と言われています。にもかかわらず、あたかも国民全体が高い英語力を身に付けることが求められているかのような風潮です。そのため小中学校での連携も十分に取れぬまま、いたずらに難易度を上げたことで極端な二極化を招き、かえって英語の出来ない生徒を増やす結果となっているように感じます。
そういったことから松山塾では学年を問わず、日々1時間の勉強に取り組むことを最低限のルーティーンとし、それ以上のことは個々の生徒さんに合わせた指導をさせていただくことを信条としています。それが松山塾の“寄り添い方”なのです。
受験結果の記載や定期テストの点数アップを広告としていないのはそのためです。
結果は生徒さん個人の努力によって出されたもの。塾はあくまで個々生徒さんの目標に合わせた学習サポートの場であることを目指して、教室の運営を行っております。