歴史の“つかみ”シリーズとしては第2弾となります。

第一弾縄文時代の“つかみ”(地理・歴史の学習シリーズ⑧)

今回は、弥生時代について。

縄文時代に続いて、歴史に興味が薄い生徒たちからすると“面白くない時代”かもしれませんが、歴史的に見れば“非常に重要な時代”と言えます。

そこを“つかみ”として、今回もお話させていただきます。

それでは早速、見ていきましょう。

新たな生活様式の“到来”

弥生時代の“最大のポイント”

それが“稲作の伝来”です。

正確には、縄文時代の末に西日本に伝わり、それが弥生時代に発展して、東北日本まで広がったとされています。

ですが、最大のポイントが“稲作の伝来”と言われても、大半の生徒たちは“キョトンとする”でしょう。

なにせ、田んぼが無くなり、その空き地に新しくマンションが建設されることも多い近頃。

日々、そんな様子を目にしている生徒たちからすれば、何がポイントなのか“まったくピンとこない”のです。

しかし、“つかみ”としてはこれでOK!

この疑問が次につながる“きっかけ”になります。

稲作が起こした“変化”

では、なぜ最大のポイントが稲作の伝来なのか。

それは、稲作がきっかけで、貧富の差が生まれたからです。

ここで、少し想像力を使って“貧富の差が生まれた理由”を考えてみてください。

稲作をするには、まず“土地”がいります。

それも“どこでも良い”わけではなく、稲作をするのに適した土地です。

もちろん、広さも“大きい方がいい”

そうした“場所”の違いが、最終的に“収穫物の差”となって現われます。

そうなると当然、“むら”どうしが水利や収穫物をめぐって争うことが多くなり、その争いの“勝敗”によって、“貧富の差”が生まれたというわけです。

そう考えれば、実に“自然な流れ”と言えるでしょう。

今後につながる“一本の軸”

そして、ここから以降、この“土地”というものがあらゆる場面で“絡んできます”

そのため、ここから先の時代は、この“土地”というものを一つの軸として見ていくと、まとまりが生まれやすくなります。

結論

弥生時代も縄文時代と同様、細かい知識は“たくさんあります”

“土器の特徴”、“稲作に使われた農具”、“収穫された稲を貯蔵する倉庫”などなど。

挙げればきりがありません。

ですが、こんな細かい知識の暗記から入れば、苦手な生徒が“ヤル気を失う”だけでなく、効率も非常に悪い。

まずは、その時代の“肝”となるポイントを掴ませて、細かい知識は後から肉付けしていく。

そのための“つかみ”として、今回の記事が参考になればと思います。